18日に、日本ユニセフ協会から緊急対応マニュアルの一部「家庭でできる心のケアのヒント」が出ましたので、リンクを張ります。
大きな被害が出た地域だけでなく、余震がある地域のお子さんは、
精神面にかなりダメージを受けていると思います。
ぜひ参考になさってください。
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地震報道を見た中3の息子が、首都圏の地震の心配を口にしました。
どうやら5年前の体験を思い出して、少し動揺しているよう。
報道番組を見るのは、必要最小限にしたほうがいいなと、思いました。
子どもが動揺しているとき、
幼児や小学生なら、保護者が抱っこして背中をさすってあげるなど、
スキンシップをとって「大丈夫」と、安心させてあげると、いいようです。
あとは、遊ぶことが大事。
息子ぐらいの年齢になると、スキンシップというわけにいかないので、
いざというときも、助かるシミュレーションをすることにしました。
本棚からひっぱり出したのは、
『地震イツモノート』ポプラ文庫
東京で都民に配布された『東京防災』

イツモノートを読むと、地震時、直後、救護活動から避難所生活まで、
それぞれにどんな問題が起き、どんな気持ちになるかなど、体験談を含めて対処法が具体的に紹介されています。
さまざまな状況への心構えになりますし、
新聞紙、大判のハンカチ、レジ袋などの画期的な利用法も載っています。
内容の一部は「地震ITUMO」から、ダウンロードできます。
「東京防災」は、事前準備の要素が多いですが、
レジ袋を使ったおむつや、タオルハンカチを使った布ナプキンの作り方、
少ない水で清潔を保つ方法、歯ブラシなしで歯を磨く方法など、実用的な紹介もあります。
こちらの内容は東京防災でダウンロードできます。
また、5年前の経験からいうと、震災の2、3カ月後ぐらいから、
小学校のクラスで言い争いなどのトラブルが増えたようでした。
子どものストレスは、それぞれの性格や、
震災後の生活の変化、家庭環境などによって表出が異なり、
表情や会話が少なくなってしまう子がいれば、暴言を吐いてしまう子もいたり、
表出する時期も震災直後、数カ月後、数年後と、それぞれ違うとのこと。
子どもによっては、おえかきや、ごっこ遊びをするときに、
ものを破壊するような、災害を再現するような、
大人が見ると、どきっとする遊びをする子もいますが、
これもストレスを発散させる過程で大事なんだそうです。
大人目線で遊びをコントロールしなくても、
不安を出していけば、いずれ、おだやかな遊びに変化していくとのこと。
東日本大震災の経験から、早めに子どもの不安を受け止め、発散させる場が必要だと考えている
セーブ ザ チルドレンが、熊本に「こどもひろば」の開設をはじめたそうです。
参考までに、日本ユニセフの東日本大震災子ども支援意見交換会でなされた、子どもの遊び(プレイセラピー)の報告と、日本プレイセラピー協会のリンクを張っておきます。
日本プレイセラピー協会のサイトからは、「子どもの心のサポートマニュアル」がダウンロードできます。
これは子どもの心をケアする前に、子どもを支える大人の心のケアの手順も書かれています。
「震災後の時間と心の変化」の表もあり、
自分がいま、どんな状態かを客観的に把握することもできます。
それから、子どもとの具体的な遊び方、気持ちの受け止め方が載っていて、とても参考になります。
命をつなぐ緊急期を過ぎたら、精神面の問題がでてきます。
保護者、保育、教育関係の方が直面する問題になると思いますので、
困ったとき、上記のマニュアルが参考になると思います。。
支援のしかたはいろいろありますが、
状況を見て、情報を精査して、
私なりの支援のしかたを考えていきたいと思います。
が、無事に復学しましたので、ご安心を。
そこで思いだしたのが、感染症研究の最前線。
秋に、国立感染症研究所の一般公開があったので、
個人的な興味とプレ取材を兼ねて、見学してきました。
最初に体験したのは「バイオセーフティ」
病原体を扱う時に自分が感染しない、そして周囲を汚染しないように備えることです。
備えるためには、まず、相手を知らなくてはなりません。
目安となるバイオセーフティレベルがありまして、
「病気を起こす可能性」「病気の重篤さ」「予防法、治療法の有無」「伝染力の強さ」
を考慮して分類されます。
最高のレベル4は、エボラウイルスや、天然痘ウイルス。
レベル3は、炭疽菌やMERSコロナウイルス。
レベル2は、コレラ菌やデングウイルス。
といった感じ。
で、体験コーナーではレベル3の備えとして、個人防護具を装着。
病原体を外に出さない工夫がされている安全キャビネットで、
ピペットを使って病原体を培養液に分ける体験をしました。
写真は、空気の流れによって、病原体が外に出ないしくみのキャビネット。

これだと、薄手の手袋でピペットを使えるのでいいのですが、
密閉したキャビネットだと、外からグローブに手をつっこんで操作するので
とてもむずかしく、手先が器用でないと、危険が高まるなあと実感しました。
ほかにも、研究者や職員の方々に興味深い話を聞いたり、
病原体を撮影する電子顕微鏡を見学したりしました。
よくニュースや新聞などで見かける病原体の写真は、ここで撮られたものなんですね。
ここでの研究をもとに、ワクチンや薬ができているわけで、
実はだれもがお世話になっている研究機関といえるでしょう。
「なるほどー」「ありがたやー」の連続でした。
誕生日だけは思い出します。
母の生い立ちは幸せだったとはいえないので、
幼少期は生まれたことに肯定的な気持ちを持てなかったかもしれません。
私はその生い立ちを知ってから、
母を守ってあげなくては、という気持ちを強く持つようになりました。
とはいえ、中学生の頃は反抗もし、いい娘ではありませんでしたが、
母が生まれてくれたから、私も生まれてこれたわけで、
だから、言いたいのです。
お母さん、お誕生日おめでとう。
生まれてきてくれて、ありがとう!
苦労しながらも、自身で人生を切り拓いた母。
今日は、精一杯生ききった彼女を褒め称えたいと思います。

中学では、園芸部に入りました(注:演芸ではない)。
その父は、正真正銘のベランダ—。
ひまさえあればベランダに出て、プランターの植物をにやにや眺めています。
さて、本日、彼がリビングで育てているパッションフルーツが花を咲かせました。
こんなつぼみができて、
(水滴のように見えるものは、なめると甘いそうです。夫談)

ポンッ!
(本当にこういう音がするらしい。今回は残念ながら、開花の瞬間を見のがしました)

入学して1週間。
中学生活に慣れず、毎日、へとへとになって帰宅する息子。
「他の人(クラスメイト)は余裕があるように見える」と、落ち込んでいますが、
「いやいや、みんな、同じく緊張しているよ」と、私。
上記のパッションフルーツは、昨夏、ベランダのプランターで育て始めたものの、
同じプランターのへちまに栄養をとられたらしく、いっこうに芽を出しませんでした。
ようやく芽を出したのは、へちまが枯れてきた秋になってからだったんです。
そのため、リビングで越冬し、一年近く遅れての開花となりました。
でも、みごとな花ですよね?
そばにいる友だちが自分よりなんでもできるように見えて、気後れすることがあったとしても、
「いま」だけじゃ、測れないことがたくさんありますからね。
親としては、必要以上に手をかけて枯らさないよう、
日々の観察をメインとし、ここぞという時に水や栄養を補給できるようにしたいなーと思っています。
そして、今週。
気持ちを切り替える意味も込め、「再開します」と、夫が高らかに宣言しました。
壁に張り出されたのは「部員募集」のチラシ。

「いやもう、家族みんな入っているから」と私が言えば、
「約1名がどういう反応を示すのかを見たい」と言います。
その1名とは、しょっちゅう、うちに泊まりに来ている義姉。
今週末、彼女がどういう反応をするのか、楽しみです〜。
学生の頃、家族の話をした私に友人がいいました。
「ありちゃんちって、サザエさんちみたいだね」
そういえば、父は波平さんに似ているかも。
せっかちなところは、そのまんま。
「ばかもん!」とも言うしなあ……。
(見た目はカーネルサンダーなんですが)
そんな父をキーパーソンにした家族の物語を
「児童文芸」で書かせていただいたことがありました。
社会的な常識とはズレている昭和一桁生まれの父。
本人はいたって真面目なだけに、物語にしてみると、コミカルでおもしろい
人物になりました。
その物語に、父が本当に言ったセリフを入れました。
池の錦鯉が野良猫に次々とられてしまい、とうとう一匹もいなくなったことを
父がくやしがって言ったセリフ。
野良猫のことをさんざん怒った後、
「だいたい、鯉も鯉だ。ぼやぼやしているのが悪いんだ!」
ぼやぼやしている鯉って、どんな鯉よ?
本人は本気で怒っているので、口に出してツッコミを入れることはできませんでしたが、
いま、思い出しても笑えます。
で、冒頭の金魚の様子に戻るわけです。
お父さんが言っていた、ぼやぼやしている鯉って、
きっと、こういう様子を指していたんだろうねー。
不器用で融通のきかない父を愛おしく感じるなんて、
私もそれなりの年齢になった証拠でしょうね。
「おれ、悪(わる)をやると決めているんだ」
と、夜の建物探索用に懐中電灯を忍ばせて……。
親に「悪をやる」と宣言した時点で、すでに「悪」にはならないんじゃないかと思うんだけど。
しかも、「悪」のレベルが、建物探索って……。
ともかく、今、息子は友だちとの集団生活をエンジョイしていることでしょう。
今朝、洗濯をしていて感じたのは、量が少ないなあということでした。
たったひとり、いないだけなのに。
かつてはこうだっただろうに、すっかり忘れているものですね。
そしてこの先、息子が独立したら、またこの量になるのでしょう。
毎日があわただしく、息切れしながら生きている感がありますが、
先で振り返った時、この日々を愛おしく感じるのだろうなーと、
ふと思いました。
自信がついて、のびのびできますよね。
それはとてもいいことなのですが、
反面、そこだけは負けたくないという気持ちが強くなり、
人よりも優位に立とうとするがあまり、相手をバカにする言葉を使ってしまう……。
私も身に覚えがあって、思い出すと後悔することばかりですが、
先日、息子にも同じシーンを見てしまいました。
友だちがむっとしている様子に胸が痛くなります。
さて、どうしようかと思案し、
でも、やはり親としては指摘しておかねばと、意を決して話しました。
耳の痛い話ですから、当然、息子はいやがりました。
その様子に、胸がもやもやしました。
自分で気がつくまで放っておくべきだったか、と。
息子はどちらかというと、なかなか自信が持てない性格で、
ようやく得意分野を見つけて、いきいきしてきたなーというところでしたから、
逆行するようなことはあまり言いたくなかったのです。
親だからこそ、言っておくこと、
親だからこそ、口には出さずに見守ること。
いまも考えて、もやもやしています。
子どもになにかを伝えるということは、
まんま、自分の覚悟を問われるわけで、
子育てにおいても、創作においても、
くしゅくしゅと、へこむことばかりです。
しばらく、もんもんとしそうです。